『みなそこのにわ』 from 新哉様

 つないだ手から、体温と隠し切れない震えが二人分、混じり合った。
 
 自分を狙う矢だとか目の前の敵だとかがどんなに怖いと思っても。
 たとえばそれが最後になっても。
 自分と同じく震えるそのちっぽけな手が自分を繋ぎ止める限り、きっと自分はどこへも行かないだろう。
 
 そのぬくもりを放さなければならない瞬間など永遠に来ないような。
 …何故だか、そんな気がした。
 
 
 
 
 深夜に目を覚ましたのは何故だったのかわからない。
 その日も心身ともに疲れきっていたのに。
 このデジタルワールドに来てからの夜が、いつでもそうであったように。
 
 例えばそれが、部屋に響く寝息がひとつ足りなかったからだとか…そんなはずは、多分ないのだろうけど。
 
(……太一?)
 
 太一が寝ているはずの隣の布団には、アグモンだけが気持ち良さそうに眠っている。
 部屋のどこを見回しても太一の姿はない。
 
(…トイレか?)
 
 そうも思ったけれど、どうしてもそのまま眠り直してしまう気にはなれなくて。
 結局ヤマトは、ガブモンを起こさないようにそっと布団から抜け出した。
 
 
 
 
 廊下を歩けばぺたぺたと音が響く。
 しかしただそれだけ。
 源内の屋敷は水に囲まれているだけあって、耳が痛むほど静かだった。
 
 ふと、窓を覗けばいつでもネオンが見え、遠くから排気音が聞こえるような、そんな自分たちの故郷が懐かしくなる。
 …8人目のいる、現実世界。
 
(…ヴァンデモンが狙ってる)
 
 例えば、このままここを逃げ出して、世界の終わる日までをただ静かに過ごしていてはいけない理由があるだろうか。
 見も知らない8人目も共に過ごした仲間も全部忘れて、何もかもを諦めてしまってはいけない理由が何かあるだろうか。
 
(…馬鹿なこと、考えてるよな)
 
 そんなことをしたいわけではない。
 そうするには、大切なものや捨てられないものが多すぎた。
 
 言ってしまえば、それが理由だ。
 
 
 
 
「──────?」
 
 ふとヤマトが足を止める。
 明かりひとつ見えない窓に張り付き、闇だけが広がるそこを一心に見つめる人影。
 
 部屋に灯された一番小さな明かりに、辛うじて浮かび上がる細身の少年の横顔。
 
「───太一…」
 
 声をかけた。
 ささやくような声音になったのは意識したことではない。
 
 ただ、そこに広がる闇と、太一のひどく静かな横顔がそうさせた。
 
「…何にも…見えねえや」
 
 太一はこっちを見て、ちいさく笑った。
 水底の庭には星明りひとつ届かない。
 
 
 
 
 たとえば、と。
 ふいにヤマトはそう思った。
 
 今すぐこの少年を連れ出して、どこか遠い誰にも見つからない場所に閉じ込めて。
 世界が滅ぶまで傷ひとつつかないように、ずっと傍で見守りつづけて。
 …そうしてはいけない理由とは、一体なんだろう?
 
(───馬鹿な)
 
 さっきよりも。
 ずっと苦い苦い気持ちでヤマトは微笑した。
 
 馬鹿なことを…考えた。
 
「───ヤマト?」
 不思議そうな顔をする太一に、なんでもないと呟いてその隣に並んだ。
 一緒に窓の外を見つめれば、その顔から目を逸らすことも不自然ではない。
 
(たとえば本当に、俺にそうするだけの力があっても)
 
 太一をさらって。
 誰にも傷つけさせないで、傍にいて。
 今度こそあんな風にその姿を見失うことがないように。
 
(太一は…泣くだろうな)
 
 そう思った。
 そんな時、怒るのではなく泣くような気が何故かした。
 自由と。
 信念と。
 …信頼を、取り上げられて。
 
「───なあヤマト」
 
 ふと声をかけられてぎくりとした。
 胸の内を見透かされた気がした。
 
 けれど太一は相変わらず水底の庭を見つめていて、こちらの様子に気付いた気配はない。
 
「…怖いか?」
 
 問いかけは静かだった。
 もし、闇に紛れてわずかにその唇が震えていることに気付かなければ。
 感情までもがそうなのだと錯覚しそうなほどに。
 
「怖くない」
 
 そう答えるのが一番良いのだと思う。
 強がりでも…それが、自分のやり方だったはずだ。
 
 けれど、ヤマトは続けた。
 
「───と、言えば嘘になるな」
 
 すこしだけ驚いたように、太一はこちらに視線を移した。
 
 この闇のせいかもしれない。
 太一と二人だけのせいかもしれない。
 今は、お互いしか守るものも守られるものもないから。
 だから、素直に言えたのかもしれない。
 
「実は…俺もだ」
 
 そう言って太一が微笑んだ。
 ふれた窓はひやりと冷たい。
 
 
 
 
 ふと。
 手を取られた。窓にふれるのとは逆の手。
 …太一側の、手だ。
 
「お前が逃げないように、つかまえててやるよ」
 
 憎まれ口のように太一が言った。
 つないだ手は震えていた。
 
「…しっかり頼むぜ」
 
 ヤマトも笑った。
 
 震えは二人分。
 …混じり合って、わからなくなる。
 
 それは太一なりの優しさで、強がりでもあったのだろう。
 
 何を恐れているのか。
 今、何に立ち向かっているのか。
 ヤマトは結局尋ねることはなかった。
 …そして、太一も。
 
 
 
 
(今度こそ)
(死ぬかもしれないな、俺たち)
 
 自分が死ぬかもしれない。
 死なないかもしれない。
 ただ、誰かを失う可能性は等しくあった。
 それが太一である可能性も。
 
 握る手にすこしだけ力をこめる。
 そうしたら握り返す力もすこしだけ強まった。
 
 そうして互いの温度や震えや、手を握る力を感じられることにふと涙が出そうになった。
 …それはきっと、この少年を閉じ込めて守りつづけるよりもずっと壊れやすくて、そのくせ永遠に残るほど強固な時間ではあったことだろう。
 
 みなそこのにわの静寂。
 それよりも自分は、月や星や太陽に照らされた、地上のノイズの中がいい。
 
 
 
 
「大丈夫だよ」
 
 まるで誰かに言い聞かせるように太一がつぶやいた。
 …微笑んでいる。
 
「…大丈夫だ…」
 
 それが何を意味しているのか。
 わからなかったけれど、それでもヤマトは頷いた。
 
「…ああ。きっと…大丈夫だ」
 
 
 
 
 守りたいのは抜け殻ではない。
 悲しませたいのでもない。
 裏切りたいわけでもない。
 
 ただ。
 ───その笑顔を、見つづけていたいだけだ。
 
(それが───理由だ)
 
 だから、逃げ出すのでもなく、閉じ込めるのでもなく。
 隣に立って戦うのだ。
 
「大丈夫」
 
 みなそこのにわの静寂。
 それよりも自分は、月や星や太陽に照らされた、地上のノイズの中がいい。
 
 けれど。
 
(この夜が明けなければいい)
 
 祈るようにヤマトはそう思った。
 …この手を放す瞬間が来るなどと、信じたくはなかった。
 
 
 
 
 
 
「怖いか?」
 ヤマトが笑う。
 
「怖くない。
 ───と、言えば嘘になる」
 太一が笑い返した。
 
「俺もだ」
 言って、手を取った。
 
「俺が逃げ出さないように───しっかりつかまえててくれ」
 
 つないだ手から、体温と隠し切れない震えが二人分、混じり合った。
 
 自分を狙う矢だとか目の前の敵だとかがどんなに怖いと思っても。
 たとえばそれが最後になっても。
 自分と同じく震えるそのちっぽけな手が自分を繋ぎ止める限り、きっと自分はどこへも行かないだろう。
 
 そのぬくもりを放さなければならない瞬間など永遠に来ないような。
 …何故だか、そんな気がした。
 
 
 
 
おまけ

新哉さんのサイトで666番を踏んで、書いてもらったヤマト×太一さん小説。
「ヴァンデモン様出そう」って申告したら、ホントにヴァンデモンの頃の話書いてくれました(笑)
読んで、思わずため息。
こんな風に、情景が浮かぶ文章書けるようになりたいなあ……。
 
新哉さん、ありがとうございましたv