『千と百と』 from 新哉様

 …なあ太一、俺たち自由になったよな?
 行ける場所も、使える金も、外泊にしたって昔よりは。
 背が伸びた。力だってついた。知ってることも増えた。
 なのに…変だよな。
 キスをためらうようになった。
 言葉を選ぶようになった。
 あまり好きと───言わなくなった。
 
 
 
 
「太一」
「…なんだよ」
 俺のノートを丸写しにしてた太一が顔を上げる。
 …ったく、高校生になったってやってることは小学校の頃と変わらない。
「明日、暇か?」
「部活がある」
「…その後は?」
「んー…暇だな」
 首を傾げてから、太一はまたノートに目を移した。
 
 その相変わらず汚い字を見下ろしながら、太一はまたノートに目を移した。
 
 その相変わらず汚い字を見下ろしながら、俺はその後を続けるのを少しためらう。
 例えば6年前ならためらわなかっただろう。
 その頃、俺は太一の親友だったから。
 3年前でもためらわなかった。
 その頃はもう太一の恋人だった。
 
 …今は?
 今だって恋人だ。
 誰よりも、太一のことが好きだ。大切だと思ってる。
 
 昔と何が違うのか…わからない。
 
「…ヤマト?」
 予定を聞いたきり言葉を続けないヤマトに、太一が顔を上げる。
 この場で太一の首を引き寄せて、笑いながら泊まりに来いよと言って。
 …そうできなくなったのはどうしてだろう。
「───やっぱり、いいや」
 言うと、太一はきょとんとした顔で変な奴と言った。
 そうだな。多分、変なんだよ。
 
 
 
 
 日曜日。
 俺は朝から早くも太一を誘わなかったことを後悔していた。
 …今からだって簡単だ。電話でもすればいい。
 部活終わったら来いよと言えば、太一はきっと来るんだろう。
 
 馬鹿な話だけど俺は、後悔しながらどうしてもそれができなかった。
 
 …誘えばいいじゃないか。好きなんだろ?
 問題ないさ、一体何年の付き合いだと思ってんだ。
 …あれ? 何年になるんだっけ?
 あのサマーキャンプの年から、友達の期間も含めれば…6年。
 
 そう思って、すげえなと自分で驚いた。
 17歳。そう長く生きてきたわけじゃないけど、これまでの人生の3分の1を太一と一緒に生きてきたことになる。
 これからその割合はもっと増えていくだろう。
 太一と一緒じゃない時間なんて考えたくもないから。
 
 ピンポーン。
 
 つらつらとそんなことを考えてたら、インターホンが鳴らされた。
 俺は渋々ソファーから起き上がる。
 
「…はーい?」
 
 いかにもかったるそうな声でドアを開けると…
 
「よ、ヤマト」
 
 俺の恋人がそこに立ってた。
 
 
 
 
「部活はどうしたんだよお前」
 突如現れた太一に俺がどれだけ驚いたのかってことは、まあ省略する。
 けどとにかく表面上は普通に、太一を家に入れてコーヒーを入れてやった。
 
「サボった」
「…さぼったぁ?」
 ンな馬鹿な。サッカー馬鹿のこいつが?
 …今日は雪か? 夏だけどな。
 
「なんで?」
「だってお前、昨日俺のこと誘っただろ?」
「…誘ってねえよ」
 誘ってたら、俺が朝からあんな沈んでたはずねえだろ。
 
 言ったら、太一は涼しい顔でコーヒーに口をつけた。
「何年の付き合いだと思ってんだ馬鹿。
 お前の言いたいことくらい、わかるに決まってんだろ」
 
 当たり前みたいに言われた。
 …6年だよ。知ってるよ。さっき計算したからな。
 
 すっかり参った心境で、俺は太一がコーヒーをすするのを眺めた。
 ミルクは多目、砂糖はほどほど。猫舌だからすこしぬるめに。
 …すっかり身体に染み付いた、太一のためのコーヒーの入れ方。
 
「…だからってわざわざ部活休んでまで来たのか?」
 
 そんなことを考えながら、俺はふとそう尋ねた。
 太一はちょっとムッとした顔でコーヒーを置いた。
 俺の鼻先に、指を突きつける。
 
「お前が普通に誘ったらサボんなかったよ」
「…なんだそれ」
「お前がなんかいらないこと考えてるからだろ?」
 
 ずばりと。
 言われてしまった。痛いところを。
 俺はなんとなく、突きつけられた太一の指を見つめた。
 
「…いらないことか?」
「知らねえよ。お前の考えてることなんか。でも多分いらねえ」
「…俺の言いたいことくらいわかるんじゃなかったのか?」
「言いたいことならな。
 でもソレ言いたくねえんだろ」
 
 こいつは。
 鋭いよな、相変わらず。時々うなるほど鈍いくせに。
 俺はまだ鼻先にあった指をつかんで、ぺろっと舐めた。
 
「…何してんだアホ」
「…アホとか言うなよお前」
 
 だってアホだろ、と鼻をつままれる。
 うるせえな馬鹿、と脇をくすぐってやった。
 しばらく二人してムキになってくすぐりあって、結局二人ともぜえぜえ言いながら床に転がった。
 
「…なあ太一」
「…なんだよ」
 床に転がったまま、俺は太一の目を覗き込んだ。
 透き通った濃い茶色。俺はなんとなくアイスティーを連想した。
「なんかさ…不自由になったと思わねえ?」
 
「…不自由…か?」
 太一が首をかしげる。昔から変わらないストレートな感情表現。
 …俺はどうだろう。変わった? 変わらない?
 
「…キス、あんまりしなくなったよな」
 人目を気にして。
「手だってつながなくなった」
 持ってる秘密の重さに、警戒心ばかりつよくなる。
「あまり抱き合わなくなった」
 もう子供じゃないのに。
「好きだって───言う回数が減った」
 子供じゃないのにどんどん人を好きでいるのが難しくなるのは。
 …それは、俺たちがルール破りの恋をしてるせいなんだろうか。
 
「…なにそれヤマト。
 それ全部したいのか?」
「…当たり前だろ?」
 言って、太一の鼻に軽く噛み付いた。
 
 いてえな、と言って太一は鼻をさすったけど、痛いほどつよく噛んでない。
 指を引き寄せて指を軽く噛んだ。
 人差し指、中指、薬指。
 
「…どれが一番つまんないんだ?」
 太一は諦めたみたいに手を好きにさせて、尋ねた。
 …どれだろう。あまりランクつけて考えたことはないけど。
 
「キスか?」
 ちゅ、と。
 太一が軽く、俺の唇に唇をかすめていった。
「手をつなぐこと?」
 俺に取られたのと逆の手を、俺の指に絡める。
「抱き合うこと?」
 俺に好きにさせてた手をするっと抜いて、俺の背中に回した。
 俺も、空いた手を太一の背中に回す。
 ───こうしてただ抱き合うのは、なんだか随分と久しぶりだった。
 
「…それとも?」
 
 寝転んだまま、太一が上目遣いに俺を見つめてきた。
 
 好きって言うこと?
 
「…どうして」
 俺はぼんやりとつぶやいた。
「…どうして…言えなくなったんだろうな」
 人目のないこんな所でさえ。
 肝心な言葉を言おうとすると、何故か口が重くなる。
 
 好きなんだよ。こんなに好きなんだ。
 ひとつも色あせてなんかない───むしろ。
 
「…どうして、なんだろうな」
 
 心と世間と常識と。
 年を取るにつれてそんなものがどんどん重くなっていく。
 
 秘密の恋。ルール違反の恋。
 ───俺たちの、本気の恋。
 
 人目を気にしてできなくなったキスの隙間を、好きという言葉で埋められなくなったのは何故だろう。
 
 そんな俺を見返して、太一はちょっと笑った。
 
「───好きだよヤマト」
 
 そして、不意打ちみたいにそうささやく。
 
「…太一」
「好きだよ。…好きだ。言っとくけど本気だぜ?」
 …わかってる。
 お前、冗談なんかでその言葉、使う奴じゃないもんな。
 
「…気付いてないんだな、お前」
 ───何に?
「変わってないよ。好きって言ってる。
 昔と同じだけ、俺に」
 太一は、抱き合ったまま顔を下げた。
 やわらかい茶色の癖っ毛に頬を撫でられ、俺はちょっと目を細める。
 
「…言えてない。昔みたいには」
「言葉の意味の違いだよ。
 …案外馬鹿なんだな、お前」
「…お前に言われたくない」
 
 言うと、太一は俺の胸元辺りに頭をすり寄せた。
 …太一の甘え方。猫みてえとすこし思う。
 
「…百の好きを十回と、千の好きを一回。
 重さは一緒だろ?」
「───なんだそれ」
 聞き返しながら、太一の髪にキスをする。
 
「…昔より、好きってことがわかったってことじゃないのか?」
 太一はそう答えて、絡めた指と指にすこし力を込めた。
 
 不思議な気分で俺はそれを聞いた。
 
 好きの重さだとか。
 こいつを。
 大切だとおもう気持ちが。
 
 昔より重くなって、俺の心を縛り付けてる。
 
 …そういうことなんだろうか。
 
 だとしたら。
 
「だとしたら…俺が自由に動けなくなったのは、お前のせいか」
 つぶやいて、背中に回しただけだった腕を引き寄せる。
 太一の身体がぴたっと俺にくっついた。
 
「なんで?」
「…お前だって馬鹿じゃん」
「───馬鹿って言うな馬鹿ヤマト」
 
 言いながら、抱き返される。
 俺は笑った。
 
「それだけお前が俺を溺れさせてんだろ?」
 
 
 
 
 大人になるって不自由なこと。
 人には言えない恋の重さだとかお前を思う心の重さだとか。
 恥じる気はないし、お前は俺の誇りだけど。
 それだけじゃ通じてもくれない不自由な世の中。
 
 でも、それでも俺たちやっぱり自由だから。
 だってほら───心だけは、いつでもお前を好きだって叫んでる。
 
 
 
 
おまけ

新哉さんのサイトで777番を踏んで、書いてもらったヤマト×太一さん小説ふたつめ。
「もーちょっと大人になったの」(をい)ってリクエストさせていただきしました。
「好きだ」よりも強烈な発言しまくるヤマトさんがなんともはや。
 
新哉さん、ありがとう〜v