『腕の檻』 from 新哉様 |
望むモノなど何もない。 …他になにもない。 (カラダが崩れ落ちるさま) 抱き寄せる背中のカタチも肩のほそさも全部この身体が覚えてるのに。 (手のひらに染みる血の匂い) 紙のように白い顔がこちらを見返す。 (力をこめると、ひどく力なく握り返す濡れたゆびさき) …生まれて初めて、こんなにも絶望的な声でいとしいひとの名前を呼んだ。 「ヤマト!」 太一が笑顔で歩道を駆け寄ってくる。ヤマトも笑ってそれを待った。 (今日はどこへ行こうかって) 一番にそれを聞こう。見たいと言っていた映画か、ブラブラと2人でその辺を歩いてもいい。 …1日恋人を抱き締めて過ごすのも、本当は捨てがたいけれど。 (そう、言ってみようか?) 太一はなんて言うだろう。怒られるかもしれない。 でも、本当なら四六時中でもふれていたくて。 (人前でも屋外でも) 話したくない。自分のものだと叫びたい。 勝手に浮かんでくる微笑のまま、恋人の姿を目で追いかけた。 走る姿がキレイ。 笑った顔が好き。 …自分だけに時折見せる、照れたような顔がすごく好き。 傍に来るまで待ちきれず、太一と名前を呼ぼうとした。 その瞬間。 ドン、と。 正面から人にぶつかり、太一がよろめいた。 膝を突いた。 転んだのかと思った。 慌てて駆け寄り。 「太一、どう…」 した、と続けようとして。 抱き起こした手のひらに違和感を感じ、ヤマトは下を見下ろした。 「───た」 ぬるりとして。 今ふれる身体と同じくらいにあたたかい。 鉄錆の匂い。 どこか不思議そうに、ヤマトを見返す太一の瞳。 「…ヤマト」 かぼそい声。 言葉が出なかった。 引きつったように咽が動かなかった。 ざわざわと。 行き交う人々が、異変に気付き始めた。 それは、あの幸福な瞬間から1分にも満たない未来の。 「た…い、ち…?」 自分のものではないような声を遠く聞きながら。 ヤマトは顔を上げた。 人込みの中、さっき太一にぶつかった男が。 カラン、とその足元に落ちる。 …銀色の、ナイフ。 「──────ッ!!」 …目を、開いた。 夢を見た。また、あの時の。 決して深くは眠れず、うとうととしては繰り返しこの夢に起こされる。 最愛の恋人が目の前で動かなくなる夢。 (…たいち) ぼんやりと天井を見上げながら、ヤマトは胸中でささやいた。 (太一) 他には何も出てこない。 全身に、じっとりと汗をかいていた。 のろのろと起き上がる。 太一の血の染み込んだ服はどうしただろうとふと思った。 太一はあのまま病院に運ばれ、今も危険な状態が続いている。 …目覚めない。 時計を見上げた。…5時、夕方だ。 (…太一…どうしてるかな) 決まっている。意識不明のままだ。 状態に変化があったのなら、病院に詰めている仲間たちが知らせないはずがない。 太一の病院に付き添い、警察の事情聴取に呼ばれ、家に帰された。 警察に取り押さえられた男は薬物中毒だったらしい。 (もしあの時、太一が腕の中にいなかったら) ぼんやりと、思う。 (きっとあの男を殺してた) 目の眩むような殺意。 憎しみも激情も今は過ぎ去り、壊れたような虚無感だけが自分を支配する。 太一の傍に行きたい。太一の傍に行けない。 (なんで…太一) 会いたい。けれど。 …目覚めない太一を見たとき、自分が正気でいられるかわからない。 時計の音を聞いていた。 太一の一緒にこの部屋にいた時を思った。 この腕に抱いて眠った夜を思った。 …たまらない気分になって、ヤマトは息を詰めた。 「─────いッ…ちぃ……っ」 頬を伝ってぱたぱたと涙が落ちる。 …食い縛った歯の間から、押し殺した嗚咽が洩れた。 「…たっ…いィ、…ち…ッ!」 壊れた人形のようにそれだけ繰り返して。 頬を伝っては毛布に落ちる感触。 流せば流すほど、涙は苦さを増すようで。 「泣くなよ…」 ふいに、聞きなれた声が聞こえた。 困ったような、悲しいようなそんな。 ヤマトは息を止めた。 まばたきもやめた。自分の膝を見つめたまま顔も上げられなかった。 「…ヤマト…ごめん」 (夢だ) そう思った。これは夢だ。 幸福な幸福な夢だと思った。 ───その姿を見れば、きっと醒めてしまう。 「ヤマト」 ほそい腕がヤマトの首に絡みついてきた。 ふわりと、頬をやわらかい髪がくすぐる。濃い茶色の。 (姿を…見たら) 醒めてしまう。消えてしまう。 それでも。 ヤマトは顔を上げた。 狂おしいほど望んだ声だった。願ってやまなかったぬくもりだった。 …どうしてそれに、応えないことができるだろう? 「…たい…ち」 そろそろと抱き寄せた背中で、やわらかいものが指にふれた。 太一がそっと身体を離す。 ばさりと。 やわらかな風が頬を撫でた。 「──────…」 あの夏の日の太一がそこにいた。 共に過ごした刹那の夏。彼に恋をした最初の瞬間の姿。 小学生、11歳の八神太一が───背中に大きな羽根を生やし、ベッドにぺたりと座っていた。 「…なんで…」 無意識のようにヤマトがつぶやく。…その瞬間。 TRRRR… ふいに電話が鳴り始めた。ヤマトは思わずびくりと肩を揺らす。 「…ヤマト」 太一は静かに電話を示した。出ろ、と言いたいらしい。 けれどヤマトは躊躇った。目を離したら太一が消えてしまいそうな気がして。 TRRRR… TRRRR… TRRRR… 急かすように鳴り続けるベル。太一がそっと目を伏せる。 「出てくれ…ヤマト」 悲しげな声が、それでもつよい意思を持って響いた。 導かれるように、ふらりとヤマトが立ち上がる。 電話を…取り上げた。 そう長くはない電話だった。…用件はひとつしかなかった。 「───そう、か───…」 ぽつりと、それだけつぶやいてヤマトは電話を切った。 電話口でまだ何か言っていたけれど、それも途切れる。 光子郎から、だった。 「…太一」 ぽつんとつぶやき、ヤマトが振り返る。太一は静かにそれを見返した。 『落ち着いて聞いてください』 「ほんとうの…ことなのか?」 光子郎がこんな悪ふざけをする人間でないことはよく知っている。 それが真実であると、自分はもう知っている。 『太一さんが、たった今』 「お前は、ほんとに」 それでも…否定してほしかった。 全てが悪い冗談なのだと言ってほしかった。 けれど太一は、ちいさく頷いて。 眩しいほどにしろいハネが、ばさりとはためく。 「…ほんとだよ」 『 死 に ま し た 』 TRRRR… TRRRR… TRRRR… 再び電話のベルが鳴り始める。 「──────…」 ヤマトは。 静かだった。風が凪いだように、停滞した静けさでもって。 泣きも叫びもしなかった。うろたえることすらなかった。 ただ、電話の横の筆立てから鋏を取って。 ぷつんと、何の躊躇いもなく電話線を断ち切った。 「────ヤマト…?」 太一が目を見開く。 …コール音はあっけなくやんだ。 たいち、と。 ささやいてヤマトがベッドに歩み寄った。 太一が黙ってそれを見守る。 顔を寄せたら、太一の目に自分が映っているのが見えた。 くちびるに。 …ふれたくちびるの温度も感触も、いつもと変わらずになんだかひどく不思議な気分だった。 まるでまだ生きているのだと錯覚してしまいそうに。 …残酷なほど優しいキスだった。 「─────…」 ヤマトがそっと顔を離す。 子供の太一が自分を見返している。 (てんしのハネに一番似つかわしい姿の) 幸福で、まっすぐにつよくてキレイで。 そう、それはまだ自分が太一を汚す前の。 ほそい首と肩。ぼんやりと、それを見つめる。 力ない。あの頃はそうは思わなかったけれど。 ひどく神聖なものに思えた。ふれてはならないような。 …あまりにも、きよらかなものに。 「…たいち」 低く、ささやくようにヤマトは名前を呼んだ。 「…なんだ?」 太一が応える、たったそれだけのことで。 歓喜かそれとも恐怖にか…ぞくりと、背筋が震えた。 「…逝くのか?」 白い羽根。美しい羽根。…それは、なんのための? 「…ああ」 わずかに視線を伏せて、太一が頷いた。 ヤマトは一度目を閉じて。 …ゆっくりと、ことさらゆっくりと目を開けた。 「───そう、か…」 静かな声は、けれどすこしかすれていた。 ごめんなさい。 ゆるされようとは思わないけれど。 …ごめんなさい。 「─────ッ!?」 太一の肩をベッドに押し付けた。背中を上に。 肩越しに、茶色の瞳がびっくりしたようにこちらを見上げる。 (…ごめんなさい) それでも仮面のように表情は変わらず。 ヤマトは、手を伸ばした。 「─────ぁっ!?」 びくん、と太一の身体が震える。 羽根をつかんだ。 やわらかい、羽毛の感触。 (ゆるされようとは) 何を予感したのか、太一が身を捩った。 わずかな抵抗がてのひらにかかる。 (…おもわないけれど) けれど多少体重をかけて押さえ込めば、子供の力の抵抗など容易く封じられて。 (ああどうか) 今すぐ神さまが自分を殺してくれたらいいとすこしだけ思った。 そうすればこれ以上。 …これ以上は。 「……ッ、やまと…ッ!!」 泣き出しそうな声が響いた。 すこし、胸が痛んだ。 (…ごめん、な…?) そして力任せに。 「─────────ッ!!!」 声にならない悲鳴が空気を震わした。 雪のようなハネが、ふわふわと辺りを漂って宙に溶ける。 無残に途中から千切れた羽根が、血で赤く染まって。 ヤマトの指があの時と同じに血に濡れた。 「───たいち」 一杯に見開いた太一の目から、ぼろぼろと涙がこぼれた。 喘ぐように唇を開き、ひきつったような呼吸を繰り返している。 「──────っ、」 痛みのせいだろうか。頬に伸ばした手のひらに、縋りついてきた。 「たいち…」 奪ったのは自分だと知っていながら。 それでも、ヤマトはそれを抱き寄せて口付けを落とした。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 恨まれても憎まれても嫌われても。 …それでも、失いたくはないのです。 覚えがあるよりちいさな身体を抱き締めた。 身体中に口付けを落とし、悲鳴とも嬌声とも知れない太一の声を聞いた。 太一の目から涙が消えることはなくて。 それでも。 太一の中に這入る瞬間、ゆるすように応えるようにちいさく、ほんのちいさく太一が微笑んだ。 「───たいち」 血に染まったベッドの上、ヤマトは貪るように太一を求めた。 苦しくて、何故かひどく苦しくて、勝手に涙がこぼれて落ちた。 「───…まと…」 太一が首を伸ばし、それを拭うように目元に口付ける。 赤い羽根にふれないよう、ヤマトは太一の背中を抱き寄せた。 (今日はどこへ行こうかって) 一番にそれを聞こう。見たいと言っていた映画か、ブラブラと2人でその辺を歩いてもいい。 …1日恋人を抱き締めて過ごすのも、本当は捨てがたいけれど。 (そう、言ってみようか?) 太一はなんて言うだろう。怒られるかもしれない。 でも、本当なら四六時中でもふれていたくて。 (人前でも屋外でも) 話したくない。自分のものだと叫びたい。 「─────たいっ、ち…っ!!」 最初に恋した少年を、力一杯抱き締めた。 折れそうにほそいカラダだった。 勘違いしてしまいそうだ。目覚めれば隣で太一が笑い、また同じ日々が始まるのだと。 放したくない。放したくない放したくない放したくない。 (かみさま) 罪深いこの身で祈る言葉に意味はあるだろうか。 (…うしないたくは、ないんです…) 嵐のような激情が過ぎ去り、ヤマトはぼんやりと太一を見つめた。 深い深い眠りについている。身体中に残る蹂躙の痕が痛々しい。 髪に指を絡めれば、いつも通りやわらかな感触が手のひらをくすぐる。 ふ、とヤマトは微笑んだ。 (許しを乞いはしません) 後悔はしません。 (罪を忘れることもなかったことにすることも) 罪の痛みを手放すことも。 カタン、と手を伸ばしてひやりとした塊を手に取った。 (泣かせても悲しませても) それでも、失うことよりつらくはない。 望むモノなど何もない。 …他になにもない。 (これがどれだけ身勝手な願いでも) パチン、と。 音を立てて折り畳んだナイフの刃を出した。 最後に。 ヤマトは口元に微かな笑みを浮かべた。 あたたかい手のひらに髪を梳かれ、太一は目を覚ました。 ぼんやりとした視界に、金の髪が映る。 「……ま…と…?」 ささやくと、ふわりと手のひらが頬を撫でた。 目に映る世界が次第に定まってゆく。 「──────や…まと…?」 太一は目を、見開いた。 髪が短い。背が低くて、腕がほそくて。 それはあの夏の日の親友の姿。 背中には黒い、大きな羽根が生えて。 少年の姿のヤマトが、ひどくやさしく微笑んでいた。 「…太一」 身を起こした太一を、そっと抱き寄せる。 護るように、黒い羽根がそっと2人を包み込んだ。 「───な…んで…ヤマト」 こんな結末を、選ぶ必要はなかったのに。…ヤマトまでが。 ヤマトは抱き締めた腕に、すこし力を込める。 泣き出しそうな顔をした太一の耳元に、ひっそりとささやいた。 「───いしてる」 「─────ッ…」 太一はびくりと肩を震わせ。 …見開いた目から、涙が零れた。 「あいしてる…たいち」 低い声。太一は息を詰め、嗚咽を噛み殺した。 (ほんとうは) ひどく息苦しく、太一は認めた。 本当は怖かった。 …本当は、ただ一人逝ってしまいたくなどなかった。 あいたかった。一緒にいたかった。 放してほしくなかった。 奪い去って縛り付けて、どこにも行けないようにしてほしかった。 (…ヤマト) ごめんなさい、と胸中でささやいた。 こんなずるい方法でヤマトを連れてきてしまった。 (ごめんなさい) それでも、抱き締められた腕が切ないほど愛しかった。 手放したくなかった。 「……やまっ、と……っ」 堪えきれなかった涙が、ぱたぱたとヤマトの肩に落ちる。 しゃくりあげながら、太一はヤマトにしがみついた。涙の染みた肩口に、額を擦りつけた。 宥めるように、そっとヤマトが背中を叩く。 肩と腕と胸と頬と。 身体中で求めるようにきつくきつく抱き締めあった。 ふれあった体温が混ざり合い、とけてしまいそうになるまで。 (他になにもいりません) (…かみさま) あまりにも苦く、この上なく優しい幸福に浸りながら2人。 (これがゆるされない罪でも) いつか地獄に堕ちても。 …死が、2人を分かつとも…ずっと。 追記 |
またしても新哉さんのところにて。4000番。……当時どれだけ行きまくっていたか知れるというものですな(苦笑) この前にいただいた「突然〜」の後書き(新哉さんのサイトにのみあったもの)に、没にした痛くて暗い話という話題がありまして。没にするくらいなら下さいとお願いしたのでした。ちなみにタイトルの読みは「かいなのおり」です。 新哉さん、本当にありがとうございました。 |