『たびのおわり、そして……。』
 
 
 
 足元から、視界が開けてゆく。
 暗闇の世界を押しのけて広がる、蒼。空と、海。
 そして緑。植物たちの、生命の色。
 
 ―――戦いは、終わったのだ。
 
「やったな」
「やりましたね」
「これでパパもママも大丈夫なのね」
「ああ、世界は救われたんだ」
 ゲンナイのメカノリモンとケンタルモンたちが作ったドーム。透明なシャボン玉のようなそれは、懐かしい場所―――ファイル島へと、ゆっくりと降下してゆく。
 その中で、子供たちは、何度も何度も繰り返す。
 かみしめるように。自分自身に確かめるように。
「……あ、あれ見て!」
 不意に、タケルが声をあげる。
 眼下の大地へと降り注いでゆく、銀の粒。
 陽の光を受けてきらきらと輝くそれは、はじまりの街へ……デジタマへとかえる命たち。
「綺麗……」
「また会えるんだよね、これで」
「エレキモンもまた忙しくなるね」
「ははっ、そうだな」
「だったらボク、手伝うよ。タケリュも手伝うよね?」
「うん!」
「ありがとよ、パタモン、タケル」
 
 
 気がついたのはヤマトだった。
「……太一?」
 さっきから、一言も話さない、彼。
 いつもなら、こんなとき、太一は、人一倍はしゃいだ姿を見せる。そんな彼を見て、仲間たちは、より実感を得ていたのだ。
 なのに、今、ドームの壁に軽く片手をついて光景を見下ろす彼は、やけに静かだった。
「太一?」
 もう一度呼びかけて、肩に手を置いても、太一は反応を返さなかった。
 さすがにおかしいと、皆が思い始めたそのとき。
「ヤマトぉ……」
 ようやく聞こえた太一の声は、なんだか間延びしていて。
「なんだよ」
「…………」
 首をかしげながら、それでも律儀に返したヤマトの返事に、応じたのは長いため息。
「太一、おい、どうしたん……」
「……終わったんだなあ……」
 吐息と共に、そんな言葉が紡がれて。
 
 ―――伸ばしていたヤマトの手が、宙に浮いた。
 
 仲間たちの見つめる中。
 ずっと歩きつづけてきた背中が、ゆっくりと崩れてゆく。
 
 銀のきらめきをバックに、ふわりとなびく栗色の髪が、何故か印象的だった。
 
 
 
「……大丈夫、だと思うよ」
 地面について。
 手当てを終えた丈が、そう言って仲間たちに微笑む。
「まだ専門的な知識があるわけじゃないから、はっきりしたことは言えないけど。あちこち打撲してるから、それで熱が出たんだろうね。でも骨には異常ないみたいだから」
 落ち着いた声と、語るその内容に安心して、全員がため息をついた。
「展開が急すぎて、みんな忘れてしまってましたね。ピエモンと戦ったときに、太一さん、怪我していたってことを。……おそらく、太一さん自身もね」
 ノートパソコンを開きながら、光子郎が苦笑する。
「ボクはメタルガルルモンに治してもらったけど、タイチはそうじゃなかったもんね〜」
「え、そんなことできるの?」
 その場に居合わせなかったミミが、アグモンの言葉に興味を示した。
「だったら太一さん、おんなじように治せないかしら?」
「そう言われても……俺はヤマトの友情のチカラをウォーグレイモンに届けただけだし」
「……俺だってできればそうしたいけどな。でも、どうしてああなったのかわからないんだよ」
 無邪気な問いに、困惑気味のガブモンと、むっつり顔のヤマト。
 その顔を見て、さすがのミミも、まずかったかな……という表情を浮かべる。
「あの……ヤマトさん、怒った?」
「……別に」
 口ではそう言うものの、ヤマトの顔は明らかに不機嫌だった。
「まあまあ、ヤマトもミミちゃんも、そのくらいにして。太一が起きちゃうでしょ」
 空がなだめに入る。
 と、丈もそれに同調して、
「そうそう。それに、今の太一に必要なのは、そういうのよりも、ゆっくり眠る時間なんだと思うよ。倒れたのって、怪我のせいももちろんあるけど……きっと、気が抜けたんだろうね」
 
 だって、あのはじまりの日から、ずっと。
 ずっと彼は、張り詰めていたから。
 
 なんとなく、皆無言で太一の寝顔を見つめていると。
「おおい、みんな!」
 あたりの様子を確かめに行ったミミ部隊のデジモンたちが戻ってきた。
「お帰りなさい、どうだった?」
 立ち上がったミミが駆け寄っていく。
「向こうに洞窟があったゲコ。そこなら休めそうだゲコ」
「水場もけっこう近くにあるタマ」
「それは良かった。では、とりあえず、移動しましょう。こんなところにいつまでも太一さんを寝かせておけませんからね」
 ぱたん、とパソコンの蓋を閉じた光子郎が言って、一同が動き出す。
「ヤマト、俺進化しようか?」
「いや、大丈夫だ」
 パートナーの言葉を笑って退けて、ヤマトは横たわる太一に腕を伸ばした。
 意識のないその身体を抱き上げる。
「重いんじゃないかい、ヤマト。僕も手伝うけど?」
「サンキュ、丈。でも、本当に大丈夫だから」
 丈の言葉も謝絶して、ヤマトは歩き出した。
 
 
 
 結局、ゲコモンたちの見つけた洞窟で一夜を明かすこととなった。
 いつの間にか姿を消していたゲンナイからは、戻るゲートを調べておくとのメールが届いていて。
 安心した子供たちは、太一の様子が気がかりではあるものの、この世界に来て初めて、のんびりした気分で夜を迎えていた。
 焚き火を囲んでの談笑。やがて、ひとり、またひとりと眠りについてゆき。
 静かになった洞窟に、ときおりぱちりと薪のはぜる音が響く。
 
 全員が眠りに入って、しばらくして。
「……みんな、寝ちまったのか?」
 小さなつぶやきとともに、ヤマトが身体を起こした。
 肩から誰かがかけてくれた大きな葉が滑り落ちる。いつの間にか寝てしまっていたらしい。
「無用心だな……火の番もしないで」
 そう言ってから、先に寝た自分を棚上げしていることに気づいて苦笑する。
 とりあえず、少し焚き火の面倒を見ようとして腰を上げかけたヤマトは、引っ張られる感触に気づいて動きを止めた。
「あ……そうか」
 シャツの端を掴んでいる手。
 ―――太一の右手。
 
 
「どうしよう、これ」
 洞窟について、皆が大急ぎでこしらえた葉っぱの寝床に太一を寝かせて。
 食事の支度に回ろうとしたヤマトは、いつの間にか自分のシャツが太一にしっかり握られているのを発見した。
 そっと放させようとしたが、外れない。
「どうしたの、お兄ちゃん」
 悪戦苦闘しているヤマトを、不思議そうに年少組ふたりが覗きに来た。
「いや、太一がさ……」
「あ……おにいちゃんってば、また……」
 言いかけたヤマトの手元を覗き込んで、ヒカリが苦笑する。
「ごめんなさい、ヤマトさん。おにいちゃんって、いつもこうなんです」
「いつも……って、熱出すとってことか?」
「ええ。わたしと違って、おにいちゃんが熱出すことってあんまりないんだけど……。たまに風邪引いたりして熱が出ると、お母さんの服掴んで放さなくて。……治ってから聞いても覚えてないみたいなんですけど」
 
 
 動くのを諦めて、ヤマトは太一の枕元に座り直した。
 幾分呼吸が早いものの、彼は静かに眠りつづけていた。
 見れば、乗せてやったはずのハンカチがずり落ちている。取り上げてみると、ガーゼ生地でできたそれは半ば乾きかけていて。
 額に手を当てる。
 まだずいぶんと熱い感触に、ヤマトの眉がぐっとしかめられた。
 置いてあった、厚手の葉で作った水入れでハンカチを絞りなおす。額にもう一度乗せてやってから、ヤマトはふう、と大きく息をついた。
 握られたままのシャツへ視線を落とす。
 ―――それは、ヤマトの知らなかった、太一の一面。
 ヒカリに聞かされたとき、ああ、こいつらしいな、と半分納得して。
 もう半分は。
「お前は、こんな時でなければ人を頼らないんだな……」
 無意識のときにしか、伸ばされない手。
 そう思うと……なんだか悔しくて。
 ぐしゃぐしゃと髪をかき回したヤマトの視線が、太一の握った手から腕、肩と順に移動する。
 ―――外してやれなかった手袋からのぞく、陽によく焼けているがしかし、細い、腕。
 ファイル島がバラバラになったとき、崖から落ちそうになった自分を助けてくれたあのときは、気づかなかった。
 ―――思っていたよりもずっと小さかった、肩。
 ピエモンと戦って傷ついた彼に駆け寄ったとき、その小ささに驚いた。
 ここに運ぼうと抱き上げたときも。小さな肩と、軽い身体に改めて驚いて。
 ―――トレードマークのゴーグルとヘアバンドを外されて、前とサイドの髪が下りてしまった顔。
 髪の影が縁取っているその寝顔は、歳よりも幾分幼く見えて。
 
 いつもより、無防備に……見えて。
 
 
 
 気づいたら、唇を重ねていた。
 熱を帯びた太一のそれは、びっくりするほど柔らかかった。
 
 
 
「……ヤマ……ト……?」
 至近距離で呼ばれて、はっと目を開けると視線が合った。
 思いもよらぬことに、ヤマトが思考停止する。
 復帰まで五秒。
「…………っ!!」
 今、自分が何をしているか。ようやく気がついたヤマトは、慌てて起きあがった。
「た、たたた太一、あのその、これはっっ……」
「…………」
 真っ赤になって、しどろもどろのヤマトを、無言で見つめる、太一。
「……だ、だからだな……って、太一……?」
 ひとしきり小声で弁解の言葉を並べ立てた後。
 何にも反応が返ってこないことに気づいて、ヤマトが落ち着きを取り戻す。
 見つめてくる、髪と同じ色合いをした瞳。そこに浮かんでいる光に、意識の色は薄い。
「……大丈夫だから、寝ろ。……な?」
 そう言って髪を撫でてやると、すぐに目蓋が閉じられた。
 再び聞こえ出した、寝息。
「……はあああ」
 そっと髪から手を離したヤマトは、思わず脱力して倒れこんだ。
 あの様子では、おそらく太一は今、自分が何をされていたかわかってないだろう。
 ヒカリも、熱出しているうちのことは覚えてないと言っていたことだし。
 
 よかったような、残念なような。
 
 
 ―――ってゆーか。……今、俺、何したって???
 
 
 自分の行動の意味に、今ごろになって気がついて。
 ぼん、と音が聞こえそうな勢いで、ヤマトの顔が染まった。さっきよりもさらに鮮やかな赤。
 
 
 結局、ヤマトはその後、一睡もできなかった。
 
 
 
「タイチ〜……カラダ、早く治してね……元気でね……」
「ああ、サンキュ、アグモン。お前も元気でな」
 光子郎とゲンナイが改造した、路面電車の前で。
 子供たちとデジモンたちが、それぞれに別れの挨拶をかわす。
 
 蘇ったはじまりの街を見届けて。
 アンドロモンに記念写真を撮ってもらって。
 そうして、子供たちは家路につく。
 帰るチャンスがもうなくて、残れば消去されるかもしれないなんて言われれば、選択肢はこれしかなかった。
 別れたくないけれど。
 でも、『いつか』を信じて。
 
 まだ熱は下がりきっていないものの。太一は自分の足で立って、パートナーとの別れを惜しんでいる。
「ヤマト」
 横目でそれを見つめるヤマトに、ガブモンが声をかけてきた。
「……あ、ごめんな、ガブモン。余所見なんかしてる時間ないんだよな」
 はっと我に返ったヤマトが自分のパートナーに謝る。苦笑いしたガブモンは、ヤマトをちょいちょいと手招きしてきた。
「どうした?」
 かがんだ彼の耳に、そっと囁かれた言葉。
「頑張ってね、ライバルは多いから」
「なっ……ガブモン……お前……」
 瞬間的に真っ赤になったヤマトを面白そうに見て、ガブモンが続ける。
「俺にわからないわけないでしょ。だって、ヤマトは前からずっと太一を見てたよ」
「……もしかして……」
「うん、ごめん。ゆうべ、目が覚めちゃった」
「ガブモン……」
 絶句するヤマトの背を、くすくす笑いながらガブモンが叩いた。
 
 
 テイルモンの吹いた笛を合図に。
 子供たちを乗せた路面電車がゆっくりと動き出す。
 
 隠れていたパルモンが飛び出してきて、転んだ。
 思わず身を乗り出したミミの頭から、帽子が飛んで。
 青い空を、ピンク色の帽子が舞う。
 
 
 八匹のデジモンたちが、岸ぎりぎりのところで手を振る。
 八人の子供たちが、電車の窓から手を振り返す。
 
 それぞれの想いは、ひとつ。
 また、きっと会えることを信じて。
 
 
 
 そうして。
 子供たちの夏は終わった。
 
 でも、かれらの冒険は、まだ終わらない――――――――――――
 
 
 
fin.

あはははは……(滝汗)
とゆーわけで、香神版無印最終回でし。
あの名作をいじってどうするよ、自分(死)
 
描写がめちゃ偏ってることから分かるとは思いますが……書きたかったのは熱出した太一さん。だってだってだって、あんなにボロボロだったのよ?
ヤマトは……勝手になにしとる、アンタ! って感じで……気づいたら、ちゅうしてたんですの、このヒトってば(爆)
で、見事にヘタレになってて……自分で笑いました。ガブモン冷静ねー(自爆)

2001.3.12