『その彩が示すは永久』
 
 
 
「やあ」
 
 知った声に振り返ると、そこには知った顔があった。
「こんにちは、マスタング中将」
 足を止めて、ぺこりと頭を下げる。
 黒髪黒眼の錬金術師は、にこやかに手を挙げて応えてくれた。
「また彼を探しているのかい」
「そうなんです。まったく、すぐにフラフラ出ていっちゃうんだから」
「ははは、いくつになっても変わらないようだな、彼は」
「……それ、中将にだけは言われたくないです」
 軍の高級将校の地位にあるのにもかかわらず、未だに街中を一人で出歩くような人には。
 そう言うと、青の軍服の肩がかくりと落ちた。
「ちょっとの息抜きも許されないのかね、私は」
「中将の場合、ちょっとではすまないからじゃないですか?」
「仕事がちょっとではすまないのだから、仕方がないだろう」
「溜めるからでしょう。ホークアイ少佐にまた怒られますよ。後で執務室に缶詰にされる位なら、普通に仕事したほうがいいと思いますけど。それに、少佐が怒っていると司令部の皆さんも大変ですし」
「……一応、私がトップなんだがね」
「少佐のご機嫌のほうが大事だと思いますよ、皆さんは」
「……」
 彼はひどくしょぼくれた表情になった。
「……キツいな、君も」
「でもほんとのことですし」
「……鋼のに言われるのはいい加減耐性がついていたんだが」
「でもほんとのことですし」
「……。本当に、似たもの兄弟だな」
「ありがとうございます」
 にっこり。
 自分でもわざとらしく感じる笑顔をつくってみせる。
 
 会話が途切れた。
 しゃがみこんで地面に『の』の字を書く彼の背中を、なんとはなしに見やる。
 
 30越したオジサンだとはとても思えない、イジけ姿。
 でも、丸めた背中は、しっかりと広さを保っていて。
 
 童顔で、歳よりは若く見られることが常。
 背の高さは、今では自分の方が勝っている。
 それでも、丈夫な布地越しに窺い知れるのは、鍛えられた筋肉を備えた、厚みのある肉体。
 
 それは、『大人』の身体。
 
 ───兄が、得る権利を手放した、もの。
 
 
 浮かんできた思考を振り払うように、声を出す。
「ところで、中将。どのへんですか?」
「何がだね」
 立ちあがった彼からは、さっきのへこんだ様子など微塵も感じられなかった。
 この切り替えの速さは、軍人だからなのか、この『焔』の称号を持つ術師の個性なのか。
「兄さんの居場所です。ご存知だから呼び止めてくださったんでしょう?」
 基本的に、無駄なことはしない人だ。……脱走癖以外は。
 
 
 
 
 
 
 
 
 街を一望できる丘の上に立つ、巨大な老木。
 その枝の上に、探していた姿はあった。
「……兄さん」
 そっと声を掛けても、軽く肩をゆすっても、寝そべった身体はぴくりとも反応しない。
 熟睡しているらしい。
「なんでこんな不安定なところで寝られるのかなあ」
 枝ぶりは幹の太さに比例するかのように立派なもの。先客に加えて自分が乗っても、びくともしない、が。
 寝返りなんぞ打とうものなら地面にまっさかさま。兄の寝相を考えれば、危険度さらにアップだ。
 さてどうしたもんかと考え始めたところに、
「……ん」
 ようやく反応が返ってきた。めくれたシャツの下を左手でぽりぽりと掻く姿は、はっきり言ってだらしない。
「風邪ひくよ、こんなところで寝てると。それに、またお腹出して」
 手の動きにつれてちらちら現れる肌を、たわんだ黒の布地を引っ張って強引に覆う。
 と、伸ばしていた腕に触れるものがある。
「?」
 見ると、だらりと垂らされていた筈の兄の右手だった。
「アルぅ……?」
 ひじ、下腕部、手首と移動していくそれは、やがて末端、指先へとたどりつく。
 そのままきゅっと握られた。
「アル……」
「そうだよ、兄さん」
「アル……」
「そうだって」
「……アル……」
 思考回路は未だ休眠中なのだろう。ただ自分の名を繰り返し呼ぶ兄の声を聞きながら、触れ合ったところに神経を集中する。
 
 ほとんど力のはいっていない、てのひら。それでも感じる、やわらかな感触。
 伝わってくる熱は、自分よりもかなり高い。子供体温、というと怒られるけれど。
 
 それは、あの頃の自分たちが求めていたもの。
 鋼で補っていた、母のかたちをした何かの代償。
 
 
 取り戻したものが、ここにある。
 
 
 
 ───そして、失ったものも、また。
 
 
 
 
 
 
 
 
 起きて、眠りにつく。
 それが、ひとの一日であるならば。
 
 かつての自分には、長い長い一日があった。
 長い長い、永遠に続くのかとも思えた、一日。
 
 
 始まりは、紅に染まった光景だった。
 灯した蜀台の炎と、異常な練成反応が残した雷。
 兄の身体から溢れ出す、血。
 
 
 
 終わりは、金色。
 
 錬金術のきっかけとなった鉱物の輝き。
 陣と自分の身体と兄の右腕を伝わり走る、光の筋。
 巻き起こった風にあおられる、兄の長い髪。
 向かいあって立つ兄の、意思と意志ともうひとつの何かに満ちた、まっすぐな瞳。
 
 
 そうして一日は終わり、新しい日々が始まった。
 
 自分と兄の身体から鋼の色を取り去って。
 
 
 ──────兄から、代価を受け取って。
 
 
 
 
 
 
 
 
「アルフォンス?」
 呼びかけられて、はっと我にかえる。
 何時の間にか、兄が目を開けていた。あの日と同じ、自分のそれよりも鮮やかな金の瞳がこちらを見つめている。
「やっと起きたの、兄さん」
「ああ、おまえがボケてる間にな」
「ひどいや、兄さんてば」
 思わず苦笑する。起動を果たした兄の言葉は、本当に容赦がない。悪意もないが。
 掴まれた指はそのままだった。そっと引っ張ると、軽い体は逆らわず起き上がった。
 ぱっと手を離した兄は、肩をぐるぐる回している。動くにつれて、ほどけた金糸が宙を舞った。
「んー、なんか肩こったな」
「こんなところで寝てるからだよ。ちゃんとベッドで寝ないと」
「風通しが良くて気持ちいいんだぜ、ここ。静かだしな。どっかのヒマ軍人に邪魔されることもねえ」
 とある単語を強調する兄に気づかれぬように、小さく笑う。
 ここを教えてくれたのは、その単語が示しているであろう人なのだが、言わないほうがいいだろうか。
 
 お気に入りの場所をひとしきり語って満足したのか、兄がぽんと枝を蹴った。姿勢を崩すことなく、赤のコートをまとった後姿が着地するのが見える。
 
 あの頃と全く変わらない、背中。
 
「アル! 帰るぞ!」
「あ、うん。待ってよ」
 さっさと歩き出そうとする兄の様子に、慌てて自分も飛び降りる。
 着地に失敗したのは、我ながら情けないというか。
「なにやってんだよおまえ」
 笑いながら、兄が手を伸ばしてきた。起こしてくれるのかと思いきや。
「兄さん?」
 音がするような勢いで、髪を乱暴にかきまぜられた。兄よりも濃い、金茶の髪があっという間にぐしゃぐしゃになる。
 最後にぽんぽん、と頭のてっぺんを軽く叩いてから、兄はようやく自分を起こしてくれた。
 
 
 おそらく察しているのだろう。見つめる自分の、弟の目線の意味を。
 
 
 鍛えあげられた、でも細い両の手足。
 まっすぐに伸ばされた、でも小さな背中。
 ───流れるはずの『時間』を失った、けっして大人になることのない、兄の姿。
 
 それを、見つめることしかできない、自分の思いを。
 
 
 察しているのだろう。きっと。
 なにも言っては、くれないけれど。
 
 かわりに与えられた手は、小さくて……涙が出るほど暖かくて。
 
 
 だから。
 
 
「行くぞ、アルフォンス」
「うん、兄さん」
 
 
 ──────だからボクは、兄さんを見つめつづける。
 
 ボクが朽ち果てる、その日まで。
 
 
 
fin.

初書きからこんなに薄暗くていいのか香神。
…ということで、初書きハガレン。エドにとっての成功例、かつ代償が物理的なものでなかった場合、です。
妹に「薄暗いよね」と訊いたら「薄くない」と返ってきました。つーことは完全に暗いのか妹よ。
 
冬コミにもうちょっとエピソード足したのを出す予定。こういうパターンは初めてかな。

2003.11.23