『風邪とからくりとレモネード』
 
 
 
 抱えた荷物のバランスをとりながら、よいせっと扉を足で引っ掛ける。
 ぴったり閉めていたわけではないそれは、きしむ音を立てて開いた。
 少し背をかがめて戸口を通る。この家を建てた当初はその必要はなかったのだが、一昨年あたりから、そうしないと痛い目を見るようになった。……おかげで兄の拗ねること、拗ねないこと。
 
「兄さーん、生きてる?」
 また足で扉にベクトルを加えながら声をかける。行儀が悪いとの自覚はあるが、両手が塞がっている以上、止むを得ない。
「……死んでる……」
 弱々しい返事は、ベッドの上に鎮座する毛布団子の中から返ってきた。枕を放り出して頭から毛布をひっ被り、端を巻き込んで手足を縮め、背中を丸めて小さくうずくまっている。
 ……苦しくないのかな、その体勢。
 そんなことを思いつつ、持ち込んだ物をテーブルと椅子の上にひとまず置いた。
 ベッドに近寄ると、気配を感じたのだろう、塊がもぞもぞと動く。それでも頭は出さない。
「大丈夫? ……じゃ、なさそうだね」
「……うっせえ……」
「はいはい。それはいいから、ちょっと顔出してよ。熱はかるから」
「……やだ……寒ぃ……」
 ……これは、かなり駄目っぽい。
 仕方なく、はみ出た金色から頭の位置の見当をつけて、毛布の隙間から無理やり手を突っ込むことにした。
「ぅぎゃ!」
 あ、ちょっとずれた。ま、いいや。
 聞こえてくる悲鳴のような抗議の声を無視して、ごそごそ手を動かす。
 そうして探り当てた兄の額は、やっぱり熱かった。まあ、手を入れた段階で……いや、目が覚めて隣を見た瞬間から、わかっていたことなのだけれど。
「うん、確定。完璧に風邪っ引きだね、兄さん」
「……っせえ……」
「自業自得、でしょ? 真冬の図書室でぐーすか寝てたのは誰?」
「…………ぇ……」
 声が小さくなった。毛布がさらに巻き込まれていく。
 この反応は、自覚はあったって印。正確には、もうひとつ原因あるかもしれないが……それはともかく。
 ここは、用意してきた物たちの出番、と思ったものの、
「兄さん?」
 いったんベッドから離れようと、毛布から抜こうとした手がびくともしない。
「アルの手……あったけぇ……」
「ボクの手は湯たんぽじゃないんだけどなあ」
 さっきまでしていた水仕事の後の反発と、平熱より遥かに高い兄の体温とによって、すっかり温まった自分の手。
 いつのまにか兄はそれを、暖房器具よろしく胸元に抱え込んでしまっているらしかった。引き抜く力を少し強めると、ますますぐいぐいと引っ張られる。
「ちょっとだけ離してよ、兄さん。そこの物取るだけだから」
「やだ」
「兄さんってば……」
「……」
 なんだか駄々っ子モードだ。それは兄の体調の悪さを物語っていて。
 ……仕方ない。
 
 掴まれているのとは逆の手で、ベッドのヘッドレストに転がっていたペンをとった。
 床に小さく陣を書き、ちょんと触れて発動させる。
「……アル? 何を……?」
 気づいた兄が、ようやく毛布から顔を出したときには、錬成は完了していた。
 
「……何やってんだ、おまえ?」
「だって、兄さんが離してくれないから」
 
 呆れて素に戻ったらしい兄のジト目に、にっこり笑って答える。
 背後では、足をからくり仕掛けに錬成されたテーブルと椅子が、がしゃがしゃと音を立てて歩いてくるところだった。
 
 
 
 

 
 
 
 
 計ってみると、39度を越えていた。まごうかたなき、高熱。
 さっき毛布の中から応えていた声も、体調に見合った弱々しいものだった。
 なのに。
「なんで暴れる元気だけはこんなに残ってるかなあ……」
 腕の中でぜいぜいと息を切らす兄を見下ろしながら、しみじみつぶやく。
「……っせ、ぇ、っ……」
 被っていた布地がなくなった分、はっきり聞こえるようにはなったが、兄の声はさらに力を失っていた。
 
 用意したのは、冷水とタオル入りの洗面器。
 予備の毛布と着替え。
 昔母に教わったとおりのレシピで作ったレモネード。
 体温計。
 それと、薬と水。
 
 見た瞬間逃走を図った兄との対決は、いつも通りこちらの勝利に終わった。
「まだ、口、ん中、苦ぇ……」
 息を切らしながら、なおも悪態をつく兄に苦笑する。
「はい、じゃあこれどうぞ。少し冷めてるからちょうどいいでしょ?」
「ん」
 マグカップを差し出すと、今度は素直に受け取ってくれた。
 ゆっくりと中身をすする様子を観察する。
 あれだけ暴れた割には、汗は出ていない。それどころか、マグを持つ手が少し震えている。
「兄さん、まだ寒い?」
 念のため聞くと、こくりとうなづいた。
 予備の毛布をすでにくるまっている上からかける。
「暑くなっちゃうけど我慢してね。汗かかなくちゃ」
 そう言うと、兄はマグに口をつけたまま、上目使いにこっちをじっと見てきた。
「なに?」
 聞いても、その体勢のまま首を振るだけ。やがて、再びマグに視線を落とした。
 
 
 今の視線の意味はなんだろうか。
 兄がレモネードを飲み終わるのを待ちながら、ふと考える。
 肩をすくめ、マグカップを口元から離さない姿はなんだかやけに幼く見えた。言うと怒ること間違い無しなので、口には出さないが。
 自分の看病の仕方は、母を見て覚えたものだ。
 
 はちみつ多目のレモネード、毛布をたくさん、いっぱい汗かかないとね。
 
 兄もよく覚えているだろう。昔から体調管理に油断の多い、というか無頓着な兄は、しょっちゅう風邪を引き込んでは母に看病されていたから。
 母がいなくなってからは、自分が。
 ふたりで暮らしていたときも、師匠のもとで修行していたときも、旅をしていたあの頃も。
 
 
 ……そういえば。
 あの頃。自分が鎧の身体で、兄の手と足が鋼だった頃。
 兄がこんな風に弱った様子を見せたことなど、なかったように思う。
 無理に無理を重ねた日々だった。便利な反面、肉体への負荷が大きい機械鎧。一つところに落ち着くことのない、常に不規則な暮らし。寝食を忘れて没頭し続けた研究。
 兄は、いつも何も言わなかった。ひとりでじっと我慢して、我慢して……完全に動けなくなってはじめて、自分の手に世話をゆだねた。
 痛い? と聞いても黙って首を振る。 苦しい? と尋ねても、大丈夫だから、と逆に笑ってみせる。
 我慢するなと怒ったこともあった。でも、ごめんな、と言う兄の表情がもっと痛くて、それ以上は言えなかった。
 
 
 だから、取り戻せたことは、よかったんだと思う。
 
 代償はあった。大きな代償が。
 しがらみも増えた。不可能と思われたことを成し遂げた者への、いろいろな思惑。計略。からみつく欲望の鎖。
 
 ―――ほんとうに辛いことは、今も言ってはくれないのだけれど。
 
 それでも。
 ……それでも。
 
 
 
 

 
 
 
 
 再び触れた兄の額は、変わらぬ熱さをもっていたが、しっとりと湿り気を帯び始めていた。
「汗出てきたみたいだね、一眠りしたら着替えよう?」
「……」
 レモネードを飲んでようやく落ち着いたのか、毛布の中の兄はうつらうつらしている。
 手から空になったマグカップをとりあげて、テーブルに戻す。抱えたままだった身体をベッドに横たえ、毛布をきちんと掛けなおして。
 身を起こそうとしたところで、シャツのはじっこを掴まれていることに気がついた。
「兄さん?」
「……ん……」
 呼びかけにむずかるような声を返して、兄が毛布の中で丸くなる。
 
 隣にそっと滑り込んだ。
 もうひとつの熱源を察知してか、自分から擦り寄ってくる身体は、相変わらず熱い。でも、毛布を蹴り飛ばし始めるのも時間の問題だろう。
 それを阻止すべく、熱い身体をしっかり抱え込む。
 
 次に目を覚ましたら、きっとこの兄は大騒ぎするのだろう。感染ったらどうする、なんて。
 そして本当に感染ったら、不器用ながらも一生懸命看病してくれるのだろう。
 やはり、はちみつ多目のレモネードで。
 
 脳裏に浮かんだその光景にくすりと笑って、目を閉じた。
 
 
 
fin.

妹に「ベタ甘な中に垣間見える薄暗さ」と言ったら、「的確な表現だ」と返されました。どうせ俺あ薄暗作家だよ(拗ねてどうする)。
 
 ちなみに「アルエド祭り」さんに投稿させていただきました。アルエドと断言するには甘さ足りなさそうですが。 


ついでにも描いたのであげてみる。(2003.12.16)

2003.12.15