「はいこれ!」
 
「はあ?」
「その様子じゃあ、別にいらないような気もするんだけどね。ま、せっかく用意したんだし!」
 勢いのいい言葉と共に唐突に差し出された物体。
 赤とピンクの可愛らしいラッピングに包まれたそれを、僕はぽかんと見た。
「エリス……なに……コレ?」
「はあ? アンタ何言ってんのよ」
 反射的に上げた右手にグリグリと包みをねじ込みながら、エリスは思いっきり呆れたという顔をした。
「チョコに決まってんじゃない、チョコ。日本じゃこれが男のステイタス、なんでしょ?」
 きっぱりとそう言い切る、同い年のアメリカ出身GEAR同僚の姿に、僕はがっくりと肩を落とした。
 
「誰に聞いたのさ、それ……」
 
 
 
『きみだけに。』
 
 
 
「誰にもなにも、あれだけ派手に宣伝していれば、嫌でもわかるわよ普通」
 見たでしょうアレ、とエリスが天井を指差した。
 今歩いているGEAR本部の頭上、さっき通り抜けしてきたアミューズメントフロア。そこにあふれていたのは、丸っこいフォントでプリントされた『バレンタイン』POPの群れ、群れ、群れ。……確かに。
「だいたいねえ、北斗。アンタが今もっているその袋の中身は何? そんだけもう貰っておいて、何すっトボケたこと言ってんのよ」
 立てられた人差し指が、僕が左手に持つ紙袋に向かう。ちょっと前に通りかかった総務部で、預かりものだと言って渡されたものだ。一番上に、貰ったばかりのエリスからの箱がのっている。
「ふうん、どれもこれも、結構高そうなのばっかりねえ。あら、これなんてゴディバじゃない。こっちも。あ、ロイズ? ここの生チョコあたし好きなのよねえ」
「……ちょっとエリス、あさらないでよ」
 別に隠そうという気はないけど、歩きながらがさがさ引っ掻き回すのは勘弁してほしい。
「いーじゃない。とりあえずカウント取ったらわけちゃうんでしょ? 先に目星つけとこうと思って。あ、ロイズもう一個見っけ」
「……君、順応しすぎだよ……ていうか、カウントって何さ」
「獲得数ランキング。たぶん愛子さんたち待ち構えてるわよ?」
「……野次馬根性多すぎだよ皆……」
「今に始まったことじゃないでしょ?」
「そーだけどさあ」
 はあ。
 エリスのあまりにも身も蓋も無い言葉に、僕はぐたりと項垂れた。
 たぶん。こういうことについては、女の子の方が現実的なんだろうけど。
 ……それでもさ、もう少しくらい夢見たっていいじゃないか……。
「北斗ってつくづくロマンチストよねえ」
「しみじみ言わないでよ」
「だってほんとのことじゃない。……それで? 本命からは貰えそうなの?」
「う」
 思わず足が止まる。数歩先に行きかけたエリスが、慌てて戻ってきた。
「ちょっと、急に止まらないでよ!」
 まったくもう、というエリスの文句を無視して考え込む。
 ちょっと用事あるから、と言ってダッシュで帰っていった、本命の相手。今日は定期召集日だから、本部には来る。来るだろうけど。
「……貰えると、思う?」
 おそるおそる訊くと、エリスはきっぱりと言った。
「無理ね」
 
 
「だって、あの銀河よ?」
「……だよねえ……」
 
 トドメ、だった。
 
 
 
― ◇ ―
 
 
 
 
 ぷしゅっ。
 空気の抜ける音がして、スライド式のドアが開く。
 そこには、いつものメンバーの姿があった。母さん、長官、博士、吉良国さん、愛子さんをはじめとするオペレーターのひとたち。
 
 それから、
「おっせーぞ北斗、エリス!」
 出雲銀河。もうひとりの電童パイロット。僕の相棒。僕の……本命。
 
「別に時間通りだけど? アンタの方こそ早かったじゃない、銀河。用事あるって言ってなかったっけ?」
 そう言いながら、エリスがさっさと司令室に足を踏み入れて。
「あら、なにかしら、これ。いい香り」
 くん、と鼻を鳴らす。
 
 ───開け放した扉からふわりと香ってくる、甘い匂い。
 
「エリスちゃん、これよ、これ」
 愛子さんが手招きした。うふふ、とか笑っていて、やけに楽しそう。
「はやくいらっしゃいな。ほら、北斗くんも」
「あ、はい」
 促されて、僕も中に入る。
 司令室の中では、基本的にみんな、定位置を持っている。オペレーターの人たちは両側のコントロール席、長官は長官席、博士は分析用の専用コンソールの前、エリスは状況に応じてコントロール席か博士の隣のどちらか。僕と銀河、母さんと吉良国さんは、出動してしまうので特に場所は決まっていない。
 それは、通常勤務のときでも変わらないはずなんだけれど、今、何故か全員が中央の情報パネルの周りに集まっていた。
 テーブル状になった多層構造のパネルの上に、真っ白な布が広げられている。その上に並べられた、たくさんのティーカップと、ポットがいくつか。皿。
 そして真ん中に、大きなバスケットが、ふたつ。
「わぁ、どうしたのこれ、美味しそう!」
 ひとつを覗きこんだエリスが歓声を上げた。その声につられて、僕ももうひとつのバスケットを覗く。
「ケーキ?」
 入っていたのは、パウンド型のケーキだった。綺麗に切り分けられた断面は、こげ茶と白の見事なマーブル模様。
「説明はあとあと。いいから、はやく食べてみて」
 笑顔の愛子さんが、そう言って紅茶を入れてくれる。さっきから、どうしてそんなに楽しそうなのかな、この人。
 少し不思議に思いながら、言われた通り一切れ受け取って、口に運んだ。
 
 ───うわ。
 
「どう?」
 にこにこ、と愛子さん。
 
「美味しい!」
 エリスが叫んだ。
「でしょう?」
 愛子さんはますます楽しそうな笑顔になった。その顔のまま、僕のほうをちらりと見る。
「ね、北斗くんはどうかしら?」
「あ、うん。美味しいです。とても」
 そう、そのケーキはとても、美味しかった。
 表面はしっかりとした焼き加減、中はしっとり。マーブルは、チョコ生地とホワイトチョコ生地らしい、でも、甘すぎることなく。
 早くも一切れめを食べ終えてしまったエリスが、二切れめに手をのばしながら訊く。
「ねえねえ、誰が作ったのこれ?」
「母さん……じゃないよね、これ」
 もちろん、母さんの作るケーキも美味しいけど、これとはちょっと違う。
 長官の隣で紅茶を飲んでいた母さんが、微笑んで頷いた。
「ええ、今日はわたしも美味しく頂いてる側よ」
「じゃあ誰? 愛子さん? それとも?」
 一番の可能性が消えたのを見て、エリスがきょろきょろと一同の顔を見渡す。
「ブッブー! 違いまあす!」
「あたしもこれくらい作れれば良かったんだけどねえ」
「悔しいけど、ノー」
「僕も違うよ」
「あ、最初っから吉良国さんだとは思ってないし」
「うわ、ひどいなエリスちゃん」
 次々に首を横に振る大人たち。
 
 ───ふと、最初に声を聞いたきり、あとはずっとだんまりの人物がいることに気づく。
 もしか……して。
 
「博士ももちろん論外だし! となると、あたしじゃなくて、北斗も違う、で残るは……」
 しまいには指差し確認まで始めていたエリスが、自分、僕、と指差して、最後に残ったひとりに指を向ける。
 
「まさか……」
 母さんの隣で、騒ぐエリスを面白そうに眺めていた人物が、にっと笑う。
 トレードマークの目元のばんそうこうが、ぴくりと動いた。
 
「そう、正解はオレ! 出雲銀河様でしたーっ!」
 高らかに叫んで、彼、銀河は得意そうにブイサインを出したのだった。
 
 
 
― ◇ ―
 
 
 
 
「うーん、これはちょっと予想外の展開だったわ」
 紅茶のおかわりに口をつけつつ、エリスがぼそりとつぶやいた。手元の皿に乗ったケーキは、実はもう三切れめだったりする。
「でもまあ、わかってみれば納得するよね。銀河、料理上手いし」
「そうだけど! なんっか悔しい気がするのよねえ」
「文句あんなら喰わなくていーぞ」
 ぶちぶち言い続けるエリスを、移動してきた銀河がじろっと睨む。
「別に文句なんてないわよ! ただ悔しいだけ! ……だいたい、アンタがちゃんとバレンタインの由来知ってたなんて思わなかったし」
「あ、それは僕も意外だった」
 この大量のケーキ。実は銀河からみんなへのバレンタインのプレゼントだった。
 女の子から男の子へ、チョコレートで愛の告白。とあるお菓子メーカーの戦略から始まった、日本のバレンタイン。
 でも、もともとは違う。別にプレゼントはチョコに限られているわけじゃないし、女の子からじゃなきゃいけないわけでもない。
「なんだよ、みんなして同じこと言いやがって」
 うちは毎年こうなんだよ、とぶすくれた顔で銀河。
 どうしてそうなったかというと、あの銀河のお父さんのせいらしい。
「え、おじさま帰ってらしたんだ?」
「おー、このためだけにな。だから明日現地にトンボ返りするらしいけど」
 銀河のお父さん、源一さんは世界的なフリージャーナリスト。ほとんど日本にいなくて、いつも世界各国を飛び回っている。
 家族をすっごく愛してるおじさんの愛情表現は、傍にいられない分毎回すっごく強烈だ。そして、すっごくわかりにくい。何故なら、そのとき滞在している土地の色に染まって帰ってくるから。
 ちなみに、何処にいたのか、銀河は一目でわかるらしい。一種の才能だと思う。
「まあ、そういえば、そうね。おじさまのことを思えば、確かに不思議じゃないわ、うん」
 そう言って、エリスはもう一口紅茶を飲んだ。
 なんだよもう、とむくれながら、銀河が空いた紅茶のカップを持って立ち上がる。
 ポットを探す銀河の背中をちらっと見やって、エリスが僕にこっそりささやいた。
「でも───そうすると。残念ね、北斗」
「え?」
 
「無理っぽいじゃない? 本命」
 
 ───そうでした。
 
「……どした? 北斗」
 おかわりをポットごと持って戻ってきた銀河が、きょとんとした顔でこちらを覗き込む。
「なんでもないよ、銀河」
 
 慌てて笑顔を作りながら、僕は心でこっそりため息をついた。
 
 
 
― ◇ ―
 
 
 
 
 特に緊急事項もなかったので、ケーキがなくなったところで僕たちは解散ということになった。
 ……平和だなあ。
 
 母さんはまだ終わらないということで、家までの帰り道を、銀河とふたり、歩く。
『ま、いいじゃない。ケーキは食べられたんだし。なーんにも貰えないよりはマシでしょ?』
 研究室に寄っていくというエリスの、別れ際の一言が、耳に蘇った。
 ああ、確かに。貰えないよりはマシ、マシだけどさ。
 
「なあ、北斗。どうかしたのか? 司令室からずっと、なんか変だぞ、おまえ」
 空になったバスケットを振り回しながら、銀河がちらちらと僕の顔を見る。
「ううん、ほんとになんでもないから。それより!ケーキご馳走様、銀河。すごく美味しかった」
 表情を必死で隠す僕は、ごまかすように声を張り上げた。一瞬面食らった様子を見せた銀河が、嬉しそうに笑う。
「だろ? 今年のはすっげえ自信作だったんだ! とうちゃんに『負けた』って言わせたし」
「競争してるの?」
「まあな」
 続けて、ああだこうだと銀河がレシピを説明してくれたが、僕はほとんど聞いちゃいなかった。
 
 
 何にも貰えないよりは、マシ。うん、確かに、そのとおり。
 でも、でもね。
 
 ───みんなで貰ったんじゃ、意味無いんだよね、本当は。
 
 
「ほーくーと!!」
 耳元で叫ばれて、我に返った。
 いつのまにか、自分の家の前だった。玄関脇から、ジュピターが頭を覗かせている。
 それを視界に入れないようにしている銀河が、呆れたような口調で言った。
「ったく。どこまで行く気だよ、おまえ?」
「ごめん……」
 しゅんとしている僕を見て、銀河はしょうがねえなあ、といった感じでため息をついた。
「なんか知んねえけどさ、しっかりしろよ、北斗」
「うん」
 ぽんぽん、と頭を叩かれる。
「じゃあな、北斗、また明日!」
 叩いたその手を振って、銀河が離れていく。
 
 ……はあ。
 その後ろ姿を見送って、僕は諦めのため息をついた。
 
 …………仕方、ないよね。
 
 のろのろと、玄関に向かおうとする。
 
 
 そのとき。
 
 
「───北斗!」
 
 
 かこん。
 声とともに、何か小さいものが後頭部を直撃した。
 続いて、がしゃんという、銀河の家の門が閉まる音。
 
 振り返る。
 
 銀河の姿はない。ばたばたと階段を駆け登る音が聞こえる。あ、転んだ。
 扉の音を最後に、あたりが静けさを取り戻してから、僕はゆっくりと視線を落とした。
 
 転がっていたのは、数センチ四方の、小さな物体。
 パッケージ剥き出しのそれは、衝撃のせいか若干歪んでいる。
 
 そうっと拾い上げる。
 拳を作れば完全に隠れてしまうサイズの、それ。
 
「銀河……」
 
 硬貨1枚で何個も買えてしまうそれは、本部で食べたケーキには質も量も絶対に及ばない。
 だけど。……だけど。
 
「うぬぼれて、いいんだよね?」
 
 僕だけにって。
 
 
 わう、と不意にジュピターが吠えた。夕食前の散歩が、僕とジュピターの日課だ。
「あ、ごめんよジュピター。今着替えてくるから」
 擦り寄ってくる頭を撫でると、僕は軽い足取りで玄関へ向かった。
 
 ───チロルチョコを、握り締めながら。
 
 
 
fin.

…な、何年ぶり?(自爆)の電童。
の割には、書き出したらスムーズに。鋼よりスピード速かった。
それにしても、バレンタインのパターンは似たようなものなのに、どうしてこんなに違うのか。鋼とは一転、薄暗さナッシング。
……やっぱ、北斗がヘタレのせい?(爆)
 
えーと、一応キリリクにも、したいなあと。お待たせしてしてしまくりの、10000ヒット瑳玖良様へ。遅くなってごめんなさい(平伏低頭)

2004.2.16