電話が通じなかった時から、ずっと予感はしていたことだった。
 …いや、太一が病院で目を覚まさなかったときからずっと。
(こんな終わりを知っていた気がする)
 そう、光子郎は思った。
 
「…そんな…」
 最初に声を発したのは丈だった。横顔を覗けば死人のように青ざめている。
 …そう、まるで。
 
 まるで血まみれでベッドに横たわるヤマトのように。
 
(…どうせ、僕も似たり寄ったりの顔でしょうけどね)
 自嘲気味に光子郎は思う。…裏腹に、頭は妙に冷めていても。
(あなたたちは勝手です)
 …勝手です。残される人間の気持ちなど、振り返りもしなかったのでしょう?
 
「───…そだ」
 ふと、タケルが呟いた。
「うそだ、こんなの───嘘だ───…」
 首を振る。瞬きもせずに。
「嘘だ───…」
 視線は兄の亡骸に釘付けになっていた。
 
「…タケル」
 大輔が、その肩をつかむ。
 明確な意思を持ってしたわけではないのだろう。彼もまた、呆けたようにヤマトを見つめていた。
「…こんなのって…」
 それきり、言葉を失ったように口を閉ざす。
 
(何を悲しむんです?)
 それがヤマトや太一のための悲しみならお門違いも甚だしい。
(…どうしてそんな顔で逝くんですか)
 ナイフで咽を裂いたらしいヤマトの顔は、それでも全く苦痛の影がない。
(僕はあなたが憎いです)
 ひどくしあわせそうな、優しい顔で。
(───僕は、あなたたちが、憎いです)
 まるで眠るように、息絶えていた。
 
「…ヤマトさん」
 ベッドに歩み寄り、そっとヤマトの頬の血を拭った。
 すこし乾いていて跡が残ったけれど、それでも。
「太一さんを…お願いします」
 伝えたい言葉も伝えられる言葉も今はそれしかない。
 
 そんなことまでが、なんだかとても痛い。
 
「───ヒカリちゃんたちに」
 ヤマトを見つめたまま、ふとタケルが呟く。
「連絡…しないと」
 …安らぎをもたらす知らせではないけれど。
 
 女の子たちを連れて来なかったのは正解だったと光子郎は思った。
 …安らいだ顔で逝ったと、せめて伝えられる。この血の染みたベッドは見せずに。
(僕らは生きているから)
 生きているから、生きている人間のことを考えるんです。
 
 生きていかなければならない。
 それが時にこんなにも残酷なことだと、知っていて逝ってしまったんですか?
 
「───光子郎、それ…」
 ふ、とその時、丈が一歩前に出た。
 とうに冷たくなっているヤマトの横、血の染み込んだシーツから、何かを拾い上げる。
「───丈さん?」
 光子郎は無表情に声を出した。今は何もかもが億劫だ。
「どうしたんですか」
 それでも、丈が拾い上げた何かが───ひどく気になった。
 
「…ハネだ」
 
 丈は、まるで奇跡でも見たかのように一枚の大きな羽根をかざした。
 白い羽根。血で赤く染まった。
「…何の…?」
 機械のように、それでもタケルがささやく。
 瞳は羽根に釘付けになっていた。
 
「枕か…布団の?」
 大輔もまた。…息をするのも惜しむようにじっと。
 
「それにしては…大きすぎます」
 光子郎は、息をひそめた。
 わからない。何かはわからないけれど。
 
(懐かしいにおいがする)
 この部屋を染めた血の匂いではない、もっとやさしい。
 …もっと大切な、何かの。
 
 誰もが沈黙した。
 誰もが答えあぐね、それでもそこから目を離せなかった。
 
 羽根。丈の手の中の羽根。
(…まるで、どこかで見た誰かに)
 それを見ていたら、何故だか涙が零れた。
 
 頬を伝って、顎から落ちる。他人事のようにそれを感じながら、光子郎はぼんやりと思った。
(僕はあなたたちのために泣くんじゃない)
(可哀想な僕らのために泣くんです)
 幸福なあなたたちのために、涙を流すことは決してしないから。
 
(すこしだけ、僕らを哀れんでください)
(あなたが置き去りにして、顧みなかった僕らを)
 
 …どうか。
 僕らはほんとうにあなたたちが好きだったんです。
 
「!」
 
 ハッと光子郎が息を呑んだ。丈も、タケルも大輔も。
「…ハネ」
 大輔がささやく。
 赤い羽根が、再び白く、淡くひかった。
 
 宙にとけるように、光がはらはらと零れていく。
 それは霧のように、或いは雨のように4人を包んだ。
 
 彼らは言葉もなくそれを見つめた。
 
 …懐かしい、匂いがした。
 
「…太一…?」
 擦れた声で丈がささやく。
「…太一先輩」
 大輔が、泣きそうな顔でつぶやいた。
 
 光はそのまま滲んで。丈の手の中には何も残らず。
 全て嘘だったかのように、消えてしまった。
 
 光子郎は、それでもじっと宙を見つめていた。
 目が乾いてまた涙が零れるまで、そうしてじっと見つめていた。
 
 そして俯き。
 電話線の切れた電話を見遣ってから、ヤマトの亡骸に背を向ける。
 
「…行きましょう」
 
(僕らは生きているんです)
 
 だから歩きつづけなければならない。
 全てを嘘にすることはできない。
 生きて生きて生きて。
 
(そうしてあなたたちを忘れずにいます)
 
 けれど、覚えていてください。
 …僕らはほんとうにあなたたちが好きだった。
 
 
 
 丈が、大輔が、タケルが、一度躊躇うように部屋を振り返ってから。
 そして決心したように前を見た。歩き出す方向を。
 
(…生きて)
 
 忘れないで。
 僕らはそれでも生きていくから。
 
 
 

おまけというよりセットになったエピソードです。
ヤマトと光子郎。対極に立つ二人。それでもはなさないひと。それでも生きていくひと。
 
先日、「真夜中の神殿」は閉鎖されました。
新哉さん、本当にありがとうございました。