『あなたのキスを数えましょう。』
 
 
 
 修学旅行。
 名前は立派だけど、要するに学校で行く観光旅行だよね。先生たちだって、口ではいろいろ言うけど、部屋に戻ったら宴会やってるんだから、結局は同じ。
 まあでも、学校の友達と何処かへ行くのは悪くない。GEARがらみだと、もっと遠くへ行ける代わりに仕事が待ってるから。
 でも。
 
「なあ、草薙、お前はどーなんだよ?」
 
 なんで修学旅行の夜って、恋愛話に花が咲いちゃうんだろう。
 とうとう向けられてしまった矛先に、僕は思わずため息をついてしまった。
 
 
 
 いくつかの班に分かれてお風呂に入って。
 その後は自由時間。宿の外にさえ出なければ―――実際は抜け出し組もいるらしいけど―――消灯までは何をやっててもOK。
 ちなみに僕は2番目の班で、銀河は3番目の班だった。お風呂が終わったら売店へ買い物に行く約束をしていたから、こうして戻ってくるのを待っていたわけなんだけど。
 部屋に入ったときから、やな予感はあった。最初のお風呂班がなんか妙に頭寄せ合ってて、いっしょに戻ってきた連中が一人、また一人とその輪の中に引っ張り込まれていって。 
 気がついてみれば、僕だけがひとり取り残された状態。それでも、荷物整理をしてるふりをして無視を決め込んでいたんだけど……。
「お前、すげえモテてんもんなあ。女なんて選り取りみどりだろ?」
 僕を何だと思ってるんだ。無視。
「こないだブレザーの子に告られてんの見たぜー? あれ星見高の制服だろ、年上にも大人気ってか」
 別に嬉しくないけど。っていうか何デバガメしてんだかこいつは。さらに無視。
「ああ、駄目駄目。草薙にはもう女房いるじゃん」
 ……。
「えー、それウィラメットかあ? あれ可愛いけどキッツいぜ。それにどっちかってーと出雲のほうがいつも」
「エリスは友達」
 ぼそっと言った声は、我ながらとっても冷たかった。
 部屋の中がしんと静まりかえる。振り返って見ると、全員の目がこちらに集中していた。
 ……しまった。本音を、出しすぎたかもしれない。
 優等生という猫を被り続けてきた僕にしては、まずい失敗だった。かなり居心地悪い空気。
「……で、大切な仲間だよ。僕にとっても銀河にとってもね」
 しょうがないので、少し和らげた声でそう言って、未だ肌身放さない通信ブレスを指してみせると、
「そ、そうだよな……」
「仲良くねえと、あんな仕事できないよな、確かに」
 多少ぎこちない感じを残しつつ、皆が会話を再開する。
 ……やれやれ。ほっとして、荷物いじりに戻ろうとする僕。
「じゃあさ、お前、ファーストキスっていつ?」
「……はあ?」
 何で話がそっちへ行く。それ以前にまだ巻き込む気なのかこいつら。
 思わず眉をひそめた僕の様子に気づいたのか、慌ててフォローの声が入った。
「いや、もともとそーゆー話してたんだよ、草薙に声かける前は」
「初恋っていつだーから始まってな、こいつがその相手にチョコもらってキスしたなんて言ったもんだからキスの話になって」
 そうなのか。聞く気なかったから気がついてなかった……って、そうじゃなくて。
「あのね、僕は……」
「今んとこ、幼稚園の頃ってのが最年少記録なんだよな。で、お前だったらもっと早いんじゃないかっつー話が出て」
 だから、どうして『僕なら』って話になるのさ。
 
「北斗ーっ! 売店行こうぜ売店ーっ!」
 相変わらずの大声と共に、銀河が部屋に帰ってきたのは、僕がこっそり拳を握り締めたちょうどそのときだった。
 
 
 
 恋愛話ってのは、好きじゃない。
 誰が誰を好きだって関係ないじゃないか。キスしたかどうかなんて、そんなのどうして他人に話す必要がある?
 僕だって抱えてる、この大事な想い。どうして関係ない奴に見せてやらなきゃならないんだ?
 
 
 
 とりあえず、それをきっかけに話から抜けることには成功した。……ちなみにノーコメントを貫いた。
 そこまではよかったんだけど。
「へ? キス?」
 きょとん、とした顔で銀河が聞き返している。
 こんなとき、自分の几帳面な性格が憎い。着替えも濡れたタオルも全部放り出して行こうとする銀河を止めて、着替えをバッグに、タオルを窓際のタオルハンガーにと片付けさせてしまったもんだから……ああもう、今日だけは大目に見ることにするんだった。
 性懲りもなく今度は銀河を捕まえた青少年どもを見る僕の眼は、間違いなく険しかったに違いない。入り口で仁王立ちする僕を、遅れて戻ってきたクラスメイトたちが恐々避けていく。
「んー、そうだなー」
 そんな僕に気づいた様子もなく、銀河はのんびり首を傾げている。
「出雲、母ちゃんとか妹っつーのはナシだぞ」
「あっはは、そしたら聞くだけ無駄だったかもなー」
 からかいの声に珍しく沸騰することもなく、ゆっくりと口を開いた銀河から飛び出した言葉は。
「……1歳くらい、かな?」
「……え?」
 にやにや笑っていた顔たちが、一様に固まった。さっきとは別の意味での沈黙。
「なんだよ、その反応は」
 黙り込む面々を不審そうに見回している銀河に、一人が恐る恐る尋ねる。
「あ……相手は?」
「知らねー姉ちゃん。たしか、母ちゃんの後輩だって話だったけど」
「そ、それで?」
「それでったって、オレ覚えてねーもん。母ちゃんがアルバムに写真貼ってんの見ただけだし」
「証拠写真つき……」
 そうつぶやいてまた沈黙した相手を、銀河はさらに変なものを見る目で見た。
「……オイ、なんか知んねーけど、そんでいいか?」
「あ……ああ」
 ぼんやりしている相手の顔をもう一瞥だけしてから、銀河はすたすたとこちらに歩いてきた。
「行こうぜ、北斗。どした?」
 固まっていたのは僕も同じだった。
 
 
 
 多分。多分ね。
 よくある話なんだとは思う。ちっちゃい子に女の人がキスしちゃうのなんて。
 でも、なんかイライラするのは、『ファーストキス』に僕も夢見てる部分があるから。
 そして、その僕の前であっさりそんな話をしてしまう銀河のデリカシーのなさが気にさわってしまったから。
 
 ねえ、銀河。知ってるよね?
 僕が君を好きなこと。
 言えないけど。こんな興味本位な連中の前では言えないけど。
 
 ……僕の『ファーストキス』は、君とのものだったんだよ?
 
 
 
「何不機嫌してんだよ、お前」
 部屋を出てしばらく歩いたところで、銀河にそう言われた。
「別に」
 自分の声がそっけなくなっているのがわかる。
 むっと口を尖らせながら、銀河が僕の顔を覗き込んだ。
「別にじゃねーだろ。どうかしたのか?」
「だから別にって」
「嘘だ、ぜってーなんかある」
「……そんなことないってば」
 首を振りながら、僕は銀河と反対側の手を握り締める。
 はあっとため息をついて、銀河が濡れたままの黒髪をわしゃわしゃとかきまわした。
「ったく。あのな、北斗。お前がそーゆー顔で『別に』って言うときって、ぜってーなんかあるんだよ」
「……」
 馬鹿銀河。
 気づいてないのに。わかってないのに。
 なのに、そんなことを言うんだね。
 立ち止まった僕の肩に手を置いて、銀河が笑う。
 
「何年いっしょにいると思ってんだよ。オレにわかんねーわけないだろが」
 
 ―――何かが切れたのを自覚した。
 肩に乗せられた銀河の手。格闘家らしく少しごつごつしたその手首を、僕は乱暴に握った。
「こら何処行くんだよ、売店はあっち!」
 抗議の声を無視して向かった先は非常階段。
 宿に着いたときに、間取りは頭に入れてある。何十段かを一気に駆け上がって、ついたフロアの奥にあるドアを開けた。銀河を押し込んで自分も入る。
 かちりと音を立てて鍵を閉めると、押し込まれた勢いで床に尻餅をついていた銀河が、びくりとして顔を上げた。
 慌てて立ち上がろうとする肩をつかむ。それから、
「北斗、お前な……」
 なおも文句を連ねようとする口を、僕は乱暴に塞いだ。
「ば……ん、う、う……」
 必死に顔をそらそうとする銀河の唇から、かすかな声がもれる。体をひねる動きを押さえつけて封じ、位置を変える唇を追いかけてさらに深く口付けた。
「ん……んん……」
 至近距離に見える頬が赤い。その色は、耳、首筋とみるみる範囲を広げてゆく。
 
 ―――染まっていくスピードに引き寄せられるように、指を辿らせた。
 
 
 

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